徒然日記その252. 昔のメールマガジンの原稿を(その6)  (6/20)

 

4年ほど前にはスクールネットさんはメールマガジンを発行していたのである。今回は私の寄せた原稿を紹介してみよう。基本的に修正無しのオリジナル原稿であるから、4年前の入試の仕組みや入試難易度などは現在と違っていることに注意して欲しい。

2002/12/8発行第8号の原稿

◆【R先生の塾日記メルマガ版】その6.受験界の困ったちゃん[その2] 勘違い野郎

 今回は「内申点秀才」と双璧をなす、受験界の困ったちゃん「勘違い野郎」がテーマだ(笑い)。

 高校のレベルをはかる尺度の1つとして、大学合格実績があるんだけど、公立高校は浪人率が高い(浪人というのは、希望の大学に入れなくて、次の年に再度受験しようとする人だ)。トップ校・難関校といわれる高校はとくにそうで、半数が浪人するところも少なくない。なぜこんなに多いかというと、公立特有の「ほったらかし」ももちろんあるけれど、それ以前に「身の程知らず」が少なからずあると思う。愛知県で、いわゆるトップ校に通っていると「すごいね」「頭いいんだね」なんてチヤホヤされることがとても多く、親までもチヤホヤされて、親子そろって鼻高々になってしまうのだ(これは前回書いたこと)。しかし、これは愛知県内だけの文字通り井の中の蛙であって、大学入試は全国区なのである。愛知県は全国レベルでみると学力レベルの平均値はかなり低い(私はワーストの部類に入っていると思う)。また、どこの高校でも言えることだが、真ん中以下の成績では難関大学の受験にはまるで通用しないと思う。ところが、本人や親はそういうことを自覚していないどころか、自分はハイレベルだ、なんて思ってしまっている。で、「勘違い野郎」が誕生する(笑い)。

 例えば、定員360人の県立A高校から毎年100人が東大・京大・名古屋大などの旧帝大クラスに合格しているとしよう(国立の旧帝大は難関中の難関である)。この数字は、見方を変えれば260人は合格できないということなのだ。そして、合格できる100人は、入学時の上位100人なのである(実力で上位100人ということ)。中位・下位あたりで入学してからグングン力を伸ばして(周りよりもずっと伸び方が大きいということである)卒業の頃には学年トップクラスになって超難関大学に現役合格、なんていうパターンは例外中の例外である。少なくとも私は、そういう例を見たことはない。

 この「勘違い野郎」が誕生するのは何もトップ校に限ったことではない。よくあるのは、中位の公立高校を志望する次のような理由だ。「○○高校なら名大に合格者を出してるし、50人くらいは国立に入っているから行かせたい」とか「△△高校なら自由だし国公立にもそこそこ合格してるから選んだ」とかである。完全に勘違いである。高校入試は"成績の輪切り"であるが"学力の輪切り"ではない(残念なことだけどね)。だから、実力はあるけれど内申点が足りなくて、泣く泣く志望を変えて入学してくる生徒も少なくない(私も毎年泣いている=悔し涙だよ)。また「近いから」とか「友達がたくさんいるから」なんていうノホホンとした理由で、実力よりもずっと格下の高校に入学する者もいるのである(私はこういうタイプの生徒が好きだ)。つまり、○○高校の50人の殆どはこういう生徒であって(全部かも)、残りの三百数十名は最初からムリなんである。○○高校に入れたら名古屋大学に行けるかも、というのは多くの場合「勘違い(幻想)」なのだ。また、複合選抜になってからよく見かけるのだけど、2つ受けた格上校に滑って格下校に入った場合、「余裕をもってXX高校(格下校のこと)に入ったのに成績が思わしくないんです」。当たり前である。格上校に届かなかった時点で合格した格下校の中でも上位ではないからだ。理由は上記と同じ。

 こういう「勘違い」や「幻想」で夢を見られるのは、ある意味シアワセなのかも知れないが、被害も被ると思う。そう、悪徳な塾や予備校や家庭教師派遣会社や通信教育会社がつけいるスキができるわけである。「A高校○○名合格!」とか「B高校合格数業界トップ!」なんて宣伝に踊らされる「勘違い野郎」の誕生だ。

 冷静に考えてみれば分かることなんだけど、そういう大手塾の生徒数と○○高校合格者数を比べて見て欲しい。圧倒的に○○高校合格者数の方が少ない。つまり殆どはその高校には合格できないのだ(当然だ)。しかし、「ひょっとしたらウチの子も」「ぼくも行けるかも」なんていう幻想を抱いて入塾である。実績を稼ぐクラス(最も有能な講師が配置されていて指導も丁寧)とそれ以外のクラス(扱いがまるで違う)が存在することを入って初めて知ったり、体験授業(公開授業)で「よくわかる先生だ」「上手な授業ね」と感心した講師は、入塾してみたら居なかったり。

 受験業界は、こういう「勘違い野郎」と「内申点秀才」が支えてクルクル回っているのである。しかも毎年、こういう「勘違い野郎」と「内申点秀才」が繰り上がってくるのだ。いやはや、関わり合いたくない世界である。おっと、私も業界人であった(笑い)。

2回にわたって「内申点秀才」と「勘違い野郎」について書きましたが、高校そのものに関して、まだまだ書きたいことが沢山あります。進学指導に血眼になっている旧・新設公立高校のこととか、広告塔化する私立の進学クラスとか。次回はこの辺のことを掘り下げてみたいと思います。では、また。

 


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