徒然日記その44. 最近の小・中学校--英語騒ぎ(5/15)

 

 英語が流行っている。小学校では英語の授業が始まるし、英会話教室は子供から大人まで花盛り。英会話教室のテレビCMもやたら見かける(私は考える人のCMが好きだ。笑)。だが、何か違うと思うのだ。外国語に親しむのはよいことだが、母国語をおろそかにしてはいませんか?それに何か目的がズレているような気がする。

 そもそもまともな日本語を使えない。「マジキレー」「かなりヤバイ(抑揚なく鳥のカナリヤが2倍みたいな感じで発音する)」「ちょームカツクー」・・・。日本語だかなんだか分からなくなっている。大人だって変わらない。辞書の無い家庭も多い。「ゆうづう」って漢字で書けますか?「供給」の対義語書けますか?(いずれも中3の内容)。こういう状況で英語だ英語だなんていってるとますます日本語がおろそかになってしまうんじゃないか。

 新聞に出ていたが、英語ができることを昇進の条件に上げる企業が30%もあるらしい。具体的にTOEICの得点まで示す企業もある。日本IBMは600点(990点満点)だそうだ。それで(中年?)サラリーマン氏は必死に英会話の勉強らしい(替え玉受験まで問題になるくらいだから切実なんでしょう。情けないが。)。それで、その姿を見た母親のほうがが問題である。「将来英語で苦労しないように、うちの子には今のうちに英語を勉強させなくちゃ」なのである。やはりヘンだ。実に短絡的である。今の幼児たちが社会に出る頃には手帳サイズの"同時通訳"マシンくらい実用化されてるだろうに。どうして目先のことでアタフタするのであろうか。

 外国語を学ぶということは、その言葉を母語とする人々の文化や歴史を学ぶことだと思う。上っ面のブロークンな会話だけマスターしたって真のコミュニケーションなど出来ないのだ。イングランドとスコットランドの違いが分からないで英語が話せたってね。シアトルってアメリカ合衆国のどこにあるか地図でわかりますか?上っ面の英会話程度なら"同時通訳マシン"に仕事を奪われるのがオチだろう。せいぜい海外旅行でちょっと安心できるくらいである。「パソコン、パソコン」と騒いでキーボードの打ち方を習っているのと同じ次元である。そのうち完璧な音声認識が可能になるだろうに。パソコンを使えるのが重要なのではなくて、パソコンを使って「何が出来るか」が大切なことだと思うのだが。英語だって同じである。

 


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