徒然日記その76. 教師と生徒の信頼関係 (12/18) 

 さて、今回も中学校のお話。「教師と生徒の信頼関係」について書いてみる。公立の小中学校が荒れていると言われて久しい。生徒が教師の言うことを聞かない,授業中にウロウロ立ち歩く,授業を妨害する,授業ができない・・・。ひどいものである。これでは勉強どころではあるまい。

 では、なぜ私立は荒れないで公立が荒れるのか?なぜ塾や予備校が荒れないで公立の学校が荒れるのか?私立中学や塾・予備校は生徒を選択できるし不都合な生徒を退学させることができるから。果たしてそれが答えであろうか?私はそれが全てではないと思っている(もちろんそれが理由のケースもあろうが)。私は「教師と生徒の信頼関係」の違いを理由として挙げたい。人間、自分が信頼している人の言うことは聞こうとするものだ。逆に信頼できない人の言うことは全て信用したくなくなる。公立中学校は、まさにこの状態ではないか。原因は何か。「内申書」の存在である。「内申書(調査書)」の「内申点(通知表の素点合計)」が高校受験に重要なのは誰だって知っている。そして通知表をつけるのは教師であることも当然知っている。では、付け方はどうか。ここに問題があると思うのだ。

 通知表は相対評価である。愛知県の場合は上位10%が5、その下20%が4、その下40%が3、その下20%が2、残り10%が1である。では、「何が」上位10%なのか?ここが問題だ。通知表を付ける上で最も重要視されるのは「意欲・関心・態度」なのである。テストの成績ではない。これは文部省の指導による。文部省としては「できなくても努力する子が評価されるように」という意図だろうが、現実は違った方向に進んでしまった。子供の「意欲・関心・態度」を見るのはもちろん教師である。ところがこの「意欲・関心・態度」の評価は客観性に欠け、何を基準に評価されるかがよく分からない。つまり担当教師の主観によるところが大きくなってしまう(中には少しでも客観性を折り込もうと手を挙げた回数を記録する、なんてばかげたことをする教師も現れる。これは笑い事ではなくて回数をチェックする教師も手を挙げる生徒たちも真剣なのである)。

 その結果、「自分は頑張ったのに評価してくれない」「あいつより自分のが出来るはずなのに通知表は負けている」と思う生徒が増えてくる。そして教師を恨むようになってしまう。これでは信頼関係など生まれない。それどころか、関係はどんどんギクシャクしてしまう。相対評価なのだから成績が上がる者があれば必ず誰かが下がるし必ず誰かに1や2が付くのである。ここにギクシャクが生まれるのだ。教師も顔色をうかがう生徒も出てくる。

 評価基準があいまいだから、評価される側には大変なストレスである。いつも「良い子」でいなければならない。だから分からなくても手を挙げるし、分からない問題があっても答えを写してでも宿題のワークブックを提出するし、分かっているのにわざわざ職員室まで質問に出かけなくちゃいけないのである。つまり本音でつき合うことが出来ない世界。ここまでくると牢獄だ。こんな牢獄で明るく健康的に過ごせるなんてほとんど天然記念物だと思う。だからおかしくなって反抗的になる者も出てくるのではないか。いや、初めから評価の土俵にのっていないと感じる生徒だって居るだろう。

 もちろん、生徒が教師を信頼しないのは「内申書」だけが原因ではないだろう。"尊敬できない授業"をする教師が増えたことは否定できない事実である。「できない」のか「手を抜く」のかは定かじゃないが。

 


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