徒然日記その98. 「教育」も消費なの? (5/14) 

 子供たちに好物を聞くと、「ぼくハンバーグ」「わたしカレーライス」「わたしはケーキ」などと昔と変わらぬ答えが返ってくる。では、今も昔も子供たちの食生活はおんなじなのだろうか。答えはノーだ。「ハンバーグ」はお母さんが手作りしてくれたものとか台所でお母さんと一緒に挽き肉をこねて作ったのもではなくて冷凍食品である。あるいはデパートの地下食料品売場やスーパーやコンビニで買ってきたもの。カレーだって家でジャガイモやニンジンから始まってコトコト煮込んで作ったものではない。ケーキだってお母さんがオーブンで焼いてくれるのをワクワクしながら待っているものではなかろう。そう、みな既製品である。大量生産される、いつどこで購入しても同じ味の「工業製品」なのだ。

 今日、我々の生活は豊かになったと言われる。しかし本当に豊かなのだろうか。この連載は、中学生・高校生諸君も読んでいるそうなので、中高生諸君も一度考えてみて欲しい。「豊かな社会=単なる大量消費社会(ものをたくさん消費してゴミを出す社会)」なのではないか。我々の生活を「消費」が覆い尽くしているとは思いませんか?労働や仕事は単に消費財を得るための手段(ようするにお金を得ること)に成り下がっているのではないだろうか。衣食住(洋服・食べ物・住むところ)すべてを「消費」が覆い尽くしているではないか。衣食住だけではない。余暇だってそうだ。そもそも「余暇」なんて言葉ってヘンだと思いませんか。「あまったヒマ」と書くなんて。

 教育だってそう。消費の1つに成り下がっている。習い事、学習塾、予備校・・・。みなお金がかかる。これらに通うことは「サービスを受ける」という消費活動である。消費活動が行われるとそこに市場(しじょう)が生まれる。その市場で、効率化とか企業努力という競争が行われる。これが資本主義社会の経済であって、教育市場だって巨大な市場なのだ。1年間にいったいどれほどのお金が教育市場を巡るのだろうか。受験だって市場である。大学受験を経験したご家庭なら実感としてご理解いただけると思うが、大学の受験料(検定料)や模擬試験の受験料、参考書・問題集代など、受験にかかる費用は莫大であり、巨大な消費なのである。

 ところで、教育市場における「効率化とか企業努力」って何だろうか。有名校(有名私立中学・有名高校・有名大学)にたくさん合格させること?生徒をたくさん確保すること?就職率を上げること?また、教育市場には他の市場と異なる特殊な前提がある。それは、「サービスを買う人」と「サービスを受ける人」が別々であるということ。たとえば学習塾の授業料は親が払い、授業を受けるのは子供である。だから不思議な現象が起こる。子供うけすればそれなりに市場が成り立つのだ。

 さらには、入試とか受験とか実際的な部分のことを「サービスを買う人」も「サービスを受ける人」もわかっていない。だから「サービス提供者」に依存してしまうのだが、この「サービス提供者」に悪意があればなんとでもコントロールされてしまう。無理な受験をさせられるとか、合格すればあとは知らない(進学してから苦労することがわかっていても、合格されるためだけの勉強を進めること)とか、数字のマジックで誤魔化されるとか(合格者数なんてのはその典型)、数え上げたらキリがない。新しくできた学習塾がごく短期間に巨大化できるのはこのような市場の特殊性と消費者の無知に原因があると思えてならないのだ。消費者がより多くの的確な情報を得られるような仕組みができるとよいのだが(そうすると潰れてしまう塾や予備校も少なくないだろうが)。 

 


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