徒然日記その204. ピンポイント勉強 (1/26)

 

 高校生を観察していると興味深い。例えば、持ち歩いている参考書。この参考書を観察すると、その高校生の勉強に対する姿勢がよく分かる。綺麗な参考書は使っていない証拠だ(つまり勉強していない証拠)。そして、参考書に(多くは表紙の裏の見開きページに)ルーズリーフの切れっ端やプリントがたくさんはさんであるのも勉強していない証拠である。プリントの束がはさんであってはページをめくるたびにバラバラと出てきて使いにくいったらありゃしない。それでもはさんだままというのは使っていない証拠というわけだ。

 最近は高校で購入する(買わされる)参考書も高級になったというか、例えば分厚い数学のチャートをみんなもっていたりする。しかし使われているものはごく一部なのだ。この「一部」というのは2通りの意味があって、しっかり使っている高校生が一部であることと、使われるページがごく一部であることも示している。後者はどういう意味かというと、テスト範囲の部分しか勉強に使われないということだ。

 中間試験や期末試験、あるいは実力試験の範囲表には、「参考書の○○ページの○○番と○○ページの○○番…」とうように出題される問題番号が出ている。その問題そのままか類題が出題されるわけである。そうすると、多くの高校生はその部分しか勉強しないわけであって、他の問題は掲載されていないのと同じなのである。参考書というものは(とくに実績のある参考書は)、その単元の重要事項をいくつかの例題や練習問題やその延長にあるハイレベルな問題(大学入試問題)を通して学べるように作ってある。この構成こそ筆者の腕の見せ所であり出版社(編集者)が頑張る部分なのである。ところが、テストに出題されるところだけをやってあとは知らない、なんて使い方をされるのであるから、もう台無しである。

 そして、こういうピンポイントの勉強ゆえに、知識はいつまでたっても「点」のままなのである。知識が体系づけられて新しい思考ができるまでに昇華することはないのである。考えてみると、こういうピンポイントの勉強は何も高校で始まったわけではなくて多くの中学生がやっていることなのである。テスト範囲を丸覚えするアレである。「点」の知識は役に立たない。だって、出題のされ方が変わっただけでお手上げなんだから。


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