徒然日記その248. 昔のメールマガジンの原稿を(その2)  (4/26)

 

4年ほど前にはスクールネットさんはメールマガジンを発行していたのである。今回は私の寄せた原稿(その2)を紹介してみよう。基本的に修正無しのオリジナル原稿であるから、4年前の入試の仕組みや入試難易度などは現在と違っていることに注意して欲しい。

2002/2/8発行第3号の原稿

【R先生の塾日記メルマガ版】その3。愛知県の教育事情--東海地方の大学ヒエラルキー

 メルマガ版の第3回目である。前回(その2)の感想をお寄せいただいた。今回の内容にも通じる物があるので、了承いただいて紹介してみる。

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Subject: メルマガ2号の感想

メルマガ2号、たいへん興味深く拝読させていただきました。読後感をもとに一筆啓上いたします。

メルマガ第2号の「R先生の塾日記メルマガ版」をたいへん面白く拝読させていただきました。はじめに小生は、R先生がおっしゃる「今の小中学生の親御さん達・・ちょうどこの学校群世代」にピッタリあてはまるものです。うなずくことばかりなのだが、少々思うところもあり、一筆啓上申し上げる次第です。

>愛知県とは不思議なところであって、公立高校の方が私立高校よりも「偉い」らしい。

愛知県で生まれ育ったものにとっては、この「不思議」は当然のものと思われた。我々が高校を受験する頃は、公立(第1志望)であり、私立はあくまでも「すべり止め」であった。親が裕福で見栄っ張りの家庭では、私立一本で合格を確約するのを「単願(タンガン)」と呼んでいた。男子なら、愛知高校(いわゆる「学院」)、女子なら淑徳、椙山あたりが、「単願」を希望する生徒が受験する(これを受験と言っていいものかわからないが・・)私立高校であった。

そもそもその当時、授業料が公立へ行けば私学の十分の一ぐらいだった記憶がある。公立の伝統校から名古屋大学(メイダイ)へ進学するのがもっとも親孝行な生徒なのだ。公立の伝統校はステータスもあり、しかも「お値うち」な学校なのだ。名古屋人は平素はいたって質素に倹約を旨とし、「嫁入り(名古屋弁では・・ヨメリ・・という)」の時は見栄を張って豪華にが名古屋流の典型。「公立の伝統校から名大」は親に世話をかけないイイ子となる訳だ。 

>そう、「中統」である。(中略)全中学生が受けたんだから、入試の予想どころか、もうほとんど確定データが出てきた。

全中学生が受けるわけだから、旭丘の志望者は順位で合否判定ができる。旭丘の定員は450名ぐらいだったのでそれ以内の順位であれば「合格圏」である。偏差値不要の一目瞭然である。「全中学生が受けた・・」ということはこんなこともわかる。「うちの中学のトップの生徒は、城山中学へ行けば8位の生徒だ」というとこまでわかってしまう。あの当時の中学間格差は歴然のもので、「丸の内中(中区)、富士中(東区)、城山中(千種区)」出身者は、公立トップ校に大勢いた。しかも、名古屋市内の中学校の先生は、愛知教育大学の出身者が多いため、先生同士の情報交換だけでもわかってしまう。

>伝統(進学)校を復活させる意図が見え隠れしていて笑ってしまう。

まさにその通り。県庁の職員も「伝統(進学)校」のOBが多いため、どうしても伝統校が上位にないと気がすまないのだ。教える高校の先生も名大の出身者が多い。いわゆる名大以下の大学出身者が先生だと「生徒の方が教師をなめて」かかる。もっとひどいケースは、「どうせお前たちの方が俺より頭がイイのだから」とこぼす先生までいるほどだ。先生の中でもエリートコースを歩む方はこうなる。旭丘、または明和高校から名大へ入学、先生になってまた母校へ赴任。最後に、旭丘・明和高校の校長で教職をまっとうする。このコースは教職者の中ではたいへん名誉なことなのだ。

>「公立高校の授業、つまり学習指導が信頼されていない」という点である。

名古屋市内の公立進学高校では、文科系のコースでも「数学。」をやってるし、理科系でも社会科は「日本史、世界史、地理、政治経済、倫理社会」まで全部学校の授業にあった。旧文部省の「学習指導要領」通りだったのか、学校の伝統なのかわからないが、ほとんど「旧帝大(だいたい名大向け)」の授業をしていたようだ。その結果が「男子の半数程度は浪人=河合塾」という進路をたどる。河合塾をあれほどまでの予備校に育て上げたのは「愛知県の公立高校の先生の怠慢」に起因するのではあるまいか?R先生が指摘される、五条・旭野高校のような先生(受験対策授業と進路指導と両面で)ばかりだったら、河合塾のような大手予備校は存在していないはずだ。

>次回は、「東海地方の大学ヒエラルキー」

楽しみにしております。

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 地元(?)の方のお話しは、なかなかにリアルである。頷いてしまう名古屋人(尾張人)も多いのでは?(笑い)

 さて、大学のオハナシである。高校の普通科に進んだ場合の多くは、卒業後さらに進学を希望するだろう。たいていは「大学」に行きたいはずである。そこで今回は、東海地方の大学事情について書いてみる。タイトルの「ヒエラルキー」とは「階級制度」とか「身分制度」という意味のドイツ語である。つまり大学の階級、要するにランキングの話になるんだけど、東海地方は独特というか特殊というか、私がヘンだと思っていることを書いてみよう。

 まず第一に、東海地方、特に愛知県は地元志向が大変に強い。自宅から通える大学を選ぶ高校生がとても多いのだ。しかも私立ではなくて国立・公立志向が高い。「官尊民卑」である。だから、地元の国立大学に人気が集中する。インターネットのあちこちの掲示板でよく見かける分析として、愛知県民憧れのコースとは、

  公立伝統高→名古屋大→理系はトヨタ、文系は県庁・市役所・東海銀行

なんて感じらしい。そして、中日新聞を愛読して中日ドラゴンズの勝敗に一喜一憂して、トヨタ自動車製のマイカー(クラウンかマークII)でお出かけして松坂屋でお買い物をし、東海銀行にたくさん貯金して結婚式で一気に散財する・・・・。これぞ愛知県人の憧れのライフスタイルらしい(かなり偏見が入ってますか?)。とにかく、一生地元から出ていかない、まさに「井の中の蛙」であることに注目して欲しい。

 これは「出て行かなくても済む」とも言い換えられる。地元にはトヨタ系企業を初めとして大企業やその系列企業がたくさんあり、雇用にも恵まれているのである。さらに、愛知県には先祖代々の筋金入りの愛知県民が多い(と私は思っている)。バリバリのネイティブである(ネイティブ=土着民)。

 例えば名古屋市なんて人口200万人オーバーの政令指定都市でありながら日本一大きな田舎でもあるわけで土地所有率が極めて高く子供達はその土地を分けてもらって家を建てて住んでればヨイ(まさに、たわけ=田分けの発祥地ですな)。こういう背景があるから、一生懸命勉強して都会(東京や大阪)の大学に出ていって、懸命に働いて30年ローンでマンションを買わなくちゃいけない人間は、他の地方に比べてとても少ないのである。だから、地元の大学に通って地元の企業に就職して地元に家を建てて(もらって、その代わり休日には実家の野良仕事を手伝って)地元で結婚してその子供もやっぱり地元の公立高校に入れるべく野○塾に通わせて、またまた地元の大学行きである。

 つまり地元だけで完全自己完結できるライフスタイルが出来上がっているわけだ。これはちょっとスゴイことかも知れない。こういう中で出来上がった東海地方の大学ヒエラルキーは特殊であって、大手予備校が出している全国の大学ランキングをそのまま当てはめて見てもあまり意味がないというか、地元での評価と随分食い違っていたりして面白かったりする。

 全国レベルで見て最難関クラスの大学であっても、その大学を知らない人間がとても多い。だって、地元のことしか知らないんだから。例えば、私立の慶應義塾大学や早稲田大学くらいなら少しは知っているが、上智大学や国際基督教大学なんで全然知らないのだ。「基督教」が読めないアナタもきっと完全自己完結人間だ(笑い)。知らないことはある意味シアワセとも言えるのであって、南山大学のことを本気で上智大学や国際基督教大学より難しいと思っていたりする。別に南山大学のことを馬鹿にするわけではないのだが、全国レベルで見たらそれくらいの難易度の大学はゴロゴロ存在するのである。ところが、愛知県民全体がそんなこと知らないので、愛知県では南山大学を卒業した人間やその家族はそのことが結構自慢だったりするし、まわりは「南山ですか。すごいですねえ」ってな具合になっている。立ち聞きしてるとちょっと微笑ましいところではある。

 国立だっておんなじだ。確かに名古屋大学は東海地方唯一の旧帝大であり(旧帝大とは、昔の帝国大学−−今の北海道大学(札幌)・東北大学(仙台)・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学(福岡)の7つ)、東海地方の頂点の大学であることに変わりはないのだが、だからといって全国レベルで見てどうかというと「?」となるのだ。ここで注意したいのは、一般人に対する知名度とその大学の社会的評価は必ずしも一致しないことである。世の中そんなに単純じゃない。(ちなみに私は名古屋大学にも在籍したことがある)

 名古屋大学は最近難易度アップが著しい。しかし、例えば、名古屋大学の経済学部は京都大学や一橋大学と比べてどうだろうか。勝っていると言えるだろうか。理学部にしてもそうである。野依教授がノーベル化学賞を受賞して、名古屋大学理学部は、ますます人気アップで難易度もアップだろうが、社会的評価(国際的評価)とは別である。ノーベル賞を受賞した研究は名古屋大学で行われたのではないし、理工系の世界に詳しい人ならば、東京工業大学とか東北大学とか大阪大学とか、いくらでももっと評価の高い大学を思い浮かべることだろう。また、大学入試の難易度なんて、受験生の動きひとつで変化するのだ。その証拠に名古屋工業大学(名古屋市昭和区の国立大学)は、共通一次試験(今のセンター試験)が始まるまでは名古屋大学工学部よりもずっと難しかったのである。

 とにかく東海地方、とくに愛知県は完全自己完結の「井の中の蛙」人間が多いので全国的レベルなど知らないし(興味がないし)、まして社会的(国際的)評価なんて分かんないのだ。これはこれでシアワセである。こういう中で、東海地方だけの大学の序列ができあがる。これは長年の間に作り上げられたイメージが先行するという特徴も併せ持つので、「中京大学の方が名城大学よりも難しい」とか聞かされても、「うそー、信じられない」なんていう言葉が返ってきたりする。この傾向は年輩になるほど顕著だったりする(笑い)。まあ、余り抽象的なコトばかり書いても疲れてくるので、具体的に「井の中の蛙」の序列を書いてみる。まずは国公立大学。

 名古屋大>>名古屋工業大>名古屋市立大>愛知県立大>>岐阜大>三重大

学部によって難易度も異なるから、大学名で序列を付けても意味はない。しかし、そこは「井の中の蛙」のイメージ先行序列である。そんな科学的なこと言われても、理解できないお馬鹿さんばっかりだからへっちゃらである(ちょっと言い過ぎですか?)。付け加えるなら、名古屋市立大学の合格ラインのが名古屋工業大学よりも高くなりつつあるし、愛知県立大学より岐阜大学や三重大学の方が難しいと私は思うのだがなにせイメージ先行、つまり名古屋市内に近いほど「偉い」し公立(=県立や市立)よりも国立のが「偉い」のだ。さらに付け加えるなら、豊橋技術科学大学もれっきとした国立大学だが、三河にあるというだけで愛知県人(尾張人)は格下に見る傾向がある。知名度の低さと三河にあることで、豊橋技術科学大学は序列にすら入れてもらえないようである。ああ、合掌。では次に私立大学。

 南山大学>愛知大学>愛知学院大学=金城学院大学>名城大学>>中京大学

昔からある大学しか知らないし新しい大学を知ろうとしないので、こういうことになったままである。南山大学は東海地区の私立大学では一番の難関であるが、これは外国語学部(英米学科)が突出しているだけで、他の学部は愛大などと大差ない。しかし、イメージ先行なのだ。南山大学の経済学部なんて、名古屋工業大学の受験生が滑り止めに使っているのにである(理系が文系学部を滑り止めに出来る程度なのだ)。また、愛知学院大学や金城学院大学は名城大学より(かなり)易しい。金城学院大学に至ってはFランク化しつつあるのだが(Fランク=受験すれば誰でもうかる大学のこと)、昔からの、愛知学院大学=お坊っちゃま学校・金城学院大学=お嬢様学校のイメージは未だ健在なのだ(年輩にはね)。中京大学だってレベルアップが著しく、愛知学院大学や金城学院大学など言うに及ばず名城大学すら追い越した感があるのだが昔のイメージはいかんともしがたい。さぞや歯がゆいことだろう。

 こんな世界であるからして、地元に残って就職するなら難関大学を出ていなくてもそれなりにシアワセになれるようである。しかし、東京や大阪の全国区に出ていくと馬鹿にされたりして面食らうことだろう。東京での名古屋工業大学や名古屋市立大学の知名度なんて六大学以下なのであるから。そして、付け加えるならば、社会の情勢は「井の中の蛙」のままでは許してくれない感じである。東海銀行は大阪の三和銀行に「吸収」されちゃったし、トヨタ自動車だっていつまで地元の人間を採用してくれるか分かんないのだ。最近、国公立も私立も含めて、愛知県内の44大学が単位互換制度をスタートすることを発表した。これは、東海地方の「地盤沈下」に危機感をもっている証拠である。どこに出ていっても通用するだけの「力」は付けておくべきですね。要は一生懸命勉強しとくことですな。苦あれば楽ありと言うではないか。

次回は、学習塾業界の「あきれる実体」を暴露しちゃいます。お楽しみに。

 


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