高校を訪ねて・・三河編 その1「挙毋・・豊田・・トヨタ・・TOYOTA」


 尾張地区の公立高校の撮影を終えて3ヶ月が経った。今回は三河地区の高校であり、撮影リストには私立高校も混じっている。当方としては公立だろうが私立だろうが、普通科だろうが専門学科だろうが、撮影することに変わりはない。わかり易いところに在って、スムーズに撮影がすめば幸いだが、気になることが3点ある。

 (1)梅雨時の天気
 (2)土地勘の無さ
 (3)大阪であった児童殺傷事件の影響による、学校の警備の強化

 ご承知のように三河地区には丘陵地帯(一部山岳地帯?)が多い。校舎が山や丘のてっぺんにあって、校門が麓にあれば撮れっこない。まあ、何とかなるだろうと思って名古屋に近い豊田方面からスタートすることにした。

 豊田のことをかつては「挙毋」と呼んだ。(注:現在も市内の町名にいくつか使われている)これを知る人も今では少なくなってきたことだろう。一民間企業の名前がそのまま市の名前になっている。本社のあるところは、ご丁寧に「トヨタ町」になっている。世界の「トヨタ」だけにさもありなん。隣接する刈谷・西尾・安城・三好・岡崎などには、滝のように子会社が連なる。為替相場が1円動いただけでも収益が何億と違ってくるそうな。当然、地方税の税収まで変わってくるのだから、公としても最大級の気の遣い方だろう。確か、2005年の万博の会長もトヨタの方だったような気がする。そのうち、「TOYOTA町」になるのじゃないかと、私は密かに懸念している?

 以前、三河といえば、岡崎を中心にした西三河と豊橋を中心にした東三河というイメージだったが、豊田の目覚ましい発展は、西三河をさらに二分した感がある。豊田を名古屋に近づけたといった方がいいのかもしれない。交通手段も、かつては車がほとんどだったが、名鉄豊田線、三河線、愛知環状鉄道など豊田の発展は尾張と三河の境をうめるものとなった。 

 ところが、実態経済と乖離したところにあるのが教育だ。公立高校では、尾張と三河で完全に2分されている(一部、境界エリアではまたがって受験することもできる高校があるにはあるが)。名古屋の東部地区にある学校なら十分通えるし、現に私立高校・中学に通う生徒もいることだろう。どうも愛知県では、尾張と三河を区別したがる傾向がある。江戸時代の幕藩体制下では別れていたわけだから、その意識が抜けないのか、尾張人(名古屋人)は、三河人を見下す傾向があるように思う。三河弁の「じゃん・だら・りん」を軽蔑しながら、「・・だがや」を平気で使う尾張人(名古屋人)がいかに多いことか。これなんかは、典型的な「目クソ鼻クソを笑う」行為だろう。こんな傾向に対して嫌な思いをしたことのある三河の方は結構いるのではないか?

 これもよくあることだが、車の「三河ナンバー」をバカにする若者たち。田舎を差別化する尾張人(名古屋人)こそ、全国的には「大いなる田舎人」と呼ばれている。どうも「尾張」と「三河」を隔てる境界の名前が悪いからかもしれない。何となれば「境川」なんていう川が、その境界になっているからかもしれない。


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